2017年03月21日

名胡桃城を見る §237

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九鬼トシユキです。

去年に初めて名胡桃城を訪れ、
そして名胡桃城について勉強してみると、
よく真田家は自領を守り抜いたなぁと思います。

1582年に武田家が織田信長によって滅ぼされ、
その信長も間もなく亡くなります。

信長死去後、
旧武田家の領地争いが徳川家、北条家、上杉家の間で起こり、
小勢力である真田家が存続するには、
その強大な3勢力とうまく関わることが不可欠の課題。

まず上杉家を頼っては離反し、
次いで北条家を頼ります。
北条家と徳川家が激突すると徳川家につく。
北条家と徳川家が手を結ぶと、
徳川家を離反して再び上杉家を頼る。
その後で秀吉に近づいて臣従すると…

こうして真田家は家を存続させることができましたが、
徳川家と北条家が手を結んだとき、
両家の間で決められてしまった境界線の問題は残ったままです。

真田家の領地がある沼田や名胡桃などの上野国(群馬県)は、
北条家が好きにして良いということになってしまったんですよね。

この上野国の真田家領地問題は、
未解決のまま約7年の歳月が流れ、
最終的に秀吉による「沼田裁定」によって解決します。
沼田を含む3分の2が北条家の所領となり、
名胡桃を含む3分の1が真田家の所領になりました。

その間、
北条家は何度も沼田に攻めてきましたし、
徳川家も上田を攻撃しています。
徳川家と北条家を同時期に相手にし、
そして自領を守り抜いた真田家の力は恐ろしいほど凄まじい。

今日もありがとうございます!

☆フォーチュン九鬼☆


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名胡桃城
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2017年03月03日

1860年「桜田門外の変」 §236

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史跡を訪ねる際、
現地で偶然にして別の何かを知ることもあれば、
訪ねた後、
別の何かもそこにあったことを知ることもあります。

写真は江戸城の大手門です。
桜田門はまだ見ていませんが…

映画「桜田門外ノ変」を見た後、
その原作である『桜田門外ノ変』を読みました。

桜田門外の変が起こったのは1860年3月3日のことで、
大老の井伊直弼が水戸藩の脱藩浪士によって暗殺されるという重大事件です。

桜田門外の変が起こった日は雪が降りました。
3月3日は旧暦の日付で、
新暦にすると日付は3月24日になります。

東京で3月24日に雪が降ったことを考えると、
季節外れの雪と言えます。

井伊直弼のお墓は、
世田谷区の豪徳寺にあり、豪徳寺は井伊家の菩提寺です。
その隣には世田谷城がありますので、
私は世田谷城を見た際に豪徳寺へも立ち寄りました。

豪徳寺に立ち寄り、
そこが井伊家の菩提寺であることを知り、
井伊直弼のお墓もあることを知ったのです。
ただ残念ながら…
その時お墓は修復中でお参りすることはできませんでした。

工事の柵に、
お墓の写真と説明文が掲示されていたので見ます。
3月3日に桜田門外の変が起こって…と書いてあります。

3月3日って…

奇しくも豪徳寺を訪れた日は3月3日だったので、
年号は忘れてても、この日付は覚えています。
本当は年号の方が大事なんですけどね(笑)

今日もありがとうございます!

☆フォーチュン九鬼☆




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