2017年06月13日

看板インパクト(新田代官陣屋) §243

shinden.jpg


九鬼トシユキです。

いつの間にできたのか、
栃木県小山市羽川の国道4号線沿いにこんな看板が!

「新田代官陣屋」を表す看板で、
陣屋の跡自体は全くありません。
遺構うんぬんよりも、
「幕府代官陣屋跡」
インパクトある文字が並んでいて、
この看板一発で、
羽川地区の昔の様子が伝わってきます。


ふと思えば・・・
私がまだ城めぐりを始める前のこと・・・

〇〇城と書かれた看板を見たことがありました。
その当時の私は城の知識が皆無なため、
城=天守閣のようなイメージしかありません。
ひょっとすると立派な建物の城がある?!
と、わくわくしたほどです(実際はありません(笑))


そんな懐かしい思い出が、
「幕府代官陣屋跡」の看板発見とともに甦ってきました。

ふと見た看板がきっかけとなり、
その時は歴史に対して、
かつての私のように誤解があったとしても、
歴史へと導く何かしらの案内板になりうる可能性は十分にありますね!

今日もありがとうございます!

☆フォーチュン九鬼☆

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2016年12月06日

地名で残る「百間堀」(百間堀) §231

百間堀.jpg



栃木県鹿沼市藤江町にある「百間堀」

鹿沼市(旧鹿沼市)の城館を調べる際、
『鹿沼の城と館』は必須アイテムで、
その必須アイテムの中に出てくる史跡です。

「百間堀」という地名が残り、
その地名から城館の可能性が指摘されています。

1間は182センチですから、
182メートルの堀という地名になり、
城好きからするとなんとも魅力的な地名です。

大きな?あるいは広い?
何かしらがあったのかもしれませんが、
地名の由来は不明ながら、
どんな史跡なのかも全くの不明。

現在では田園風景が広がり、
その中にぽつんとあるというだけで、
遺構はありません。

一面が田園風景の似たような場所ですから、
その「百間堀」の地名の場所に辿り着いたとはいえ、
『鹿沼の城と館』に載っている地籍図と実際の田畑を交互に見比べ、
田畑を数えながら最終確認しました。

と、
残ってない城跡を最終的に特定するのは、
城跡を楽しむというよりは、
なぞなぞの答えを考えるみたいな楽しみがあり、
良い頭の体操になります(笑)

今日もありがとうございます!

☆フォーチュン九鬼☆

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2015年07月07日

井伊さんの領地(堀米陣屋) §192

九鬼トシユキです。


佐野市の堀米には、
「堀米城」という城があります。

南北朝の頃、
新田義重に従った堀米氏の居城です。


堀米には、
江戸時代になると彦根藩の陣屋が置かれます。

現在の陣屋跡地は、
住宅街で何もありません。

私自身、
つい数年前に知ったことですが…

江戸時代の各藩は、
藩の居城となる城の周辺だけが所領ではない。

あっちにもこっちにもと、
色々な所に飛び地があり、
そういう飛び地の所領も全て含めて、
合計で○万石となっています。


そして、
飛び地と言っても所領なので、
各藩は陣屋を設けて、
その飛び地を支配していました。


ちなみに彦根藩は、
1633年に下野国安蘇郡に所領を得ています。

飛び地管理は、
藩から代官が派遣されての管理でしたので、
まさに驚きの支配体制ですね!


今日もありがとうございます!

☆フォーチュン九鬼☆


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